ぐりまの読書日記

読書が好きです。本の感想など。

『樹上のゆりかご』荻原規子 感想

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今週のお題「読書の秋」
ファンタジーの名手、荻原規子さん。
その作品には、『西の善き魔女』とか勾玉三部作とか、重厚で本格的なファンタジーがたくさんある。
そんな荻原作品たちの中で異彩を放つのが、学園モノの名作、『樹上のゆりかご』。今回は、ミステリアスで魅力的な本作について、感想を書いていきます。

あらすじ
旧制中学の伝統が色濃く残る辰川高校。上田ひろみは、学校全体を覆う居心地の悪さを感じていた。合唱祭で指揮者を務めた美少女有理と出会ってからは更におかしな事が起き始める。学園祭の準備に追われる生徒会へ届いた脅迫状、放火騒ぎ、そして、演劇で主役を演じた有理が…!
樹上におかれたゆりかごのような不安定な存在「学校」。そこで過ごす刹那を描いた学園小説の名作が、書き下ろしの短編を収録して新たに登場。
(『樹上のゆりかご』角川文庫カバー紹介文より)

さて、さっそく本作品の魅力について見ていきたいと思います。

【上品な語り口、ミステリアスな雰囲気】
まずはなんと言ってもこの、独特な雰囲気が良い。
作品名にもなっている、マザーグースの詩の引用から始まって、第一章章題の「沈黙の音」も、なんだか謎めいている。それに加えて冒頭の上田ひろみの独白。
彼女が「例の事件」に関わるようになったいきさつがなんとなく語られ、物語の登場人物名が羅列されて、
「そして、名前のない顔のないもの…」
という謎の言葉。
上田ひろみによるこの、若干独りよがりな冒頭の語りは、多くを説明しないまま唐突に終わって、物語がいきなり始まってしまう。
私たちは、「名前のない顔のないもの」って何なんだろう?という疑問を持ったまま、物語を読み進めることになるのである。
心憎い演出ですねー。

物語全体としては、別に暗い場面ばかりではない。むしろ学園小説ならではのコミカルな場面がたくさんあって、読んでいて楽しい(主に江藤夏郎とかね)。
だけど、上田ひろみの一人称による語り口は、冒頭の雰囲気からもわかるように、どこか彼女自身の違和感や、内面の鬱屈が投影されている。

華々しい行事も、授業や試験などの日常も、学校の男子を中心としたおかしな伝統も、上田ひろみの女の子らしい視点を通して、あくまで淡々と上品に語られていく。
この語りが、作品全体の雰囲気を、落ち着きのある、少し謎めいたものにしていると思う。

時折、近衛有理さんとの文学談義や、マザーグースの詩の引用が入ってきたり、
執行部メンバー同士の会話も、名門進学校の生徒なだけあって、ふとしたところで深い内容が登場したりする。

「今日びこんな頭良さげな話し方する高校生、どこにもいないのでは…?」
とか思ったりしなくもないけど、まあそこはそれとして。

時折鋭い視点のまじる彼らの会話を読むのも、本作の楽しめる点の一つである。


【「樹上のゆりかご」のような学校生活】
次に、題名に込められた意味から、本作品の魅力を探ってみたい。

近衛さんが話し、上田ひろみが自分の胸の内で考えたように、
高校生活が、木の上のゆりかごに乗っているようなものだ、というのは、なんとなくわかる気がする。

高校は、ある程度学力のレベルが同じ学生達が集まっていて、学校行事があれば、みんなが同じ目標に向かい、全力を尽くす。

高校という共同体の中にいれば、同じような仲間がまわりにいて、
伝統を守り、行事を成功させることに全力を尽くせば、
その中での評価を得ることができて、気持ちよく過ごすことができる。
これが、ゆりかごの中にいる状態。

でも、社会に出れば必ずしもそうはいかない。
学歴も背景も様々な人々がいて、
成績みたいなわかりやすい指標もなければ、
学校行事のような共通の目標もない。
頑張っている人が評価されるとも、成功するとも限らないし、
むしろ暑苦しいと白い目で見られることの方が多いかもしれない。
失敗しても、落ちたゆりかごを受け止めてくれるような母親は、実際には存在するかわからない。

上田ひろみも何度か触れているけど、彼らがじきに直面する大学受験も、
結局は個人個人の戦いでしかなくて、
一日の小さな失敗で、その後の人生が変わってしまうくらいのシビアなものだ。
高校2年生の彼らにとっては、受験の先の未来は、
暗いトンネルのずっと先の景色のように、曖昧で不確かなものに感じられるのだろう。

上田ひろみは、辰川高校という共同体の中で、辰高生として振る舞うことを、近衛有理さんのように、ゆりかごの中の幻想だと切って捨てることはできず、
かといって、古き良き辰高生になりきってそこに熱中することもできず、
憧れを抱きながら、第三者の立場で見つめ続けていた。
その上田ひろみの葛藤を描いたのが、「樹上のゆりかご」という作品なんだろうなと思う。

個人的に感じるのは、高校行事のような、限られた年代と場所でしかできない行事って、
確かに儚いし、一時のものでしかないけど、
二度と経験できないからこそ、貴くて美しい。
それこそ、ぱあっと打ち上げて消えてしまう花火みたいに。

「樹上のゆりかご」の登場人物たちも、ゆりかごの中で、同じものを信じていられるのは今だけだと、心のどこかでわかってるからこそ、
一つ一つの行事や学校生活に一生懸命になるんじゃないかな。

そういう、このときしかない一瞬のきらめきみたいなものが描かれているから、本書は魅力的なんだと思う。

【上田ひろみが得たもの】
そして、私がやっぱり好きなのは、この物語のラストだ。

近衛有理さんは、文化祭での「事件」によって、終盤には辰川高校から姿を消してしまう。

上田ひろみは、シンドバッドの王子様の話を共有できた、たった一人の相手を失ってしまって、
その後は、それ以前と何も変わらない日常に戻る。

辰川高校という共同体の熱狂からは覚めかけてきて、
受験生になるときがだんだんと近づいてくる。

…こういうちょっと鬱な展開で終わってしまうのかなーと思うんだけど、
実は、最後の最後で、ひーちゃん(上田ひろみ)にはちょっといいことが起きるのだ。

高校に入って、「勉強のできる上田さん」というポジションを失って、ふわふわ過ごしていたひーちゃん。

竹を割ったような性格の中村夢乃が、「花火をどーんと打ち上げるような場所にいたい」と言ったのとは違って、
「一生情熱を持って続けられるものがほしい」と言っていたひーちゃん。

彼女は、自分が今いる場所が、木の上のゆりかごに過ぎなくて、
外には受け止めてくれる母親などいないかもしれないと気づいてしまった。

彼女がそんな迷いと葛藤の中にいたからこそ、最後に国語の福沢先生からもらった「ある言葉」は、何ものにも代えがたい驚きと嬉しさをひーちゃんに与えたんじゃないかと思う。

トンネルの先に見つけた光みたいに。

そりゃスキップもしたくなるよね。

そして、そのあとの江藤クンとのやりとりも微笑ましい。

こうして、葛藤していた上田ひろみが、これから先の人生を切り開くようなきっかけを得たところで、物語は幕を閉じる。

この読後感の良さも、私が「樹上のゆりかご」を好きな理由の一つなのだった。


【個人的感想(思い出含む)】
……いやー。

やっぱりいいなー、「樹上のゆりかご」。

初めて読んだのは、結構はっきり覚えてるけど、中学2年生の秋の夜だった。
そのときにのめり込んで一気読みして以来、最低でも一年に一回くらいの頻度で、無性に読みたくなるのがこの本。

ついでに言うと、『樹上のゆりかご』と出会った後に私が入学した高校も、旧制中学から続く、行事に力を入れる学校で、校内には、意味不明で不条理な伝統がたくさんあった。
応援団による新入生へのしごきやら、古色蒼然とした校歌や応援歌やら、男子限定の謎の体操やら…

そういうものに出会う度に、「これ樹上のゆりかごみたいじゃん!!」と興奮していた私だけど、
冷静に考えると、ある程度古い高校に行けば、こういう意味不明な伝統って珍しくないんだろうなと思った。

高校を卒業してから出会う人の中にも、高校時代の「変な」伝統について、面白おかしく語る人ってわりと多い気がするし。

そして、さすがにアカペラの合唱祭は我が母校には無くて、
その点だけは上田ひろみがとてもうらやましいと思ったりしていたのを思い出す。

……てなかんじで、今読み返してもいろいろ懐かしくなる『樹上のゆりかご』なのでした。


最後までお読みいただき、ありがとうございました