ぐりまの読書日記

読書が好きです。本の感想など。

じわじわ怖い『残穢』小野不由美

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あらすじ

ホラー小説家である「私」は、かつて著作のあとがきで、怖い話を募集していた。そのため、今でも「私」のもとには、ときおり読者からの怪談が届く。
ある日、読者の「久保さん」から届いた一通の手紙には、こんなことが書かれていた。「住んでいるマンションの一室で、誰もいないはずの和室から、畳を摺るような音がするー。」
久保さんの住む部屋で、以前に不穏な出来事があったのだろうか。協力して原因を探る「久保さん」と「私」は、付近に住んでいた人々から聞く不可思議な「怪談」を頼りに、過去へとさかのぼっていく。
次々と現れる、つながりそうでつながらない「怪談」達を前に、合理主義者の「私」は考える。全ては人間の思い込みが生み出す「虚妄」なのか、それとも、何か根源となるものが存在するのか。
そして最後に「私」がたどり着いたのは、思いもかけない場所の怪談だった。


感想

なんというか、じわじわ怖い本。

竹内結子さん主演で映画化もされているが、たぶんこれを映画館で見ても、「ぎゃー!こわ!!」とか「夜寝られなくなる」とかはならないと思う。この小説の怖さはそういう直接的な怖さではない。

書きぶりからして、一人称の「私」というのは、おそらく作者の小野不由美さん自身が投影された人物で、
小説の内容も、おそらく作者の実体験がある程度反映されていると思われる。
(どの部分が「実際にあったこと」で、どこからが「創作」なのかは、推測するしかないのだけれど。)

この「私」というのが、恐ろしく合理的な考え方をするのだ。
超常現象の話を聞いても、その体験をした人の思い込みであることをまず疑う。
ある怪談と別の怪談につながりがありそうに見えるときも、
「この種類の怪談のパターンは各地にあって、たまたま似たような内容の話を、自分たちが勝手に結びつけて考えているだけでは」
と推測する。
怪談蒐集をするホラー作家なのに(いや、だからこそなのかな)、
怪談と向き合うとき、まずはそれを疑うというスタンスを必ずとるのである。

だからといって、「私」は、全ての超常現象を否定する立場に立つわけでは決してない。
「私」は、世の中には本当に超常現象が存在することもあり得ることを前提にした上で、
単なる思い込み(虚妄)と本物の怪異を区別して、最も合理的な説明の仕方を考え出すのだ。
小説中盤に登場する「穢れの伝染」という法則も、
作者が怪異の存在の可能性を前提にして考え出した、たいへん論理的な考え方である。

この、頭から信じ込むわけでも否定するわけでもなく、無駄に怖さを煽ることもない、「私」の淡々とした冷静な語りが、ものすごいリアリティとじわじわした怖さを作り出す。

終盤で出てくる、「語ること自体が怪」という怪談の概念も恐ろしい。

え?
この本を読んでいるということは、私たちもその怪談に触れている時点で、祟られるということ…??

…なんてまじめに考えてしまうくらい、怖さがすぐそばに迫って感じられる小説だ。