ぐりまの読書日記

読書が好きです。本の感想など。

『麦の海に沈む果実』恩田陸 感想

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世の中に面白い本はたくさんあるし、素晴らしい作家さんも大勢いる。
誰のどの作品が一番好きか、なんて質問をされたときは、決めかねて困るので、とりあえずの暫定的な答えをするようにしている。

けれども、物語の幕開けと幕切れに関しては、私の乏しい読書歴の中に限れば、これが最も優れているのではないかと、割と確信を持って言える本はあるのだ。


恩田陸の『麦の海に沈む果実』である。


『麦の海に沈む果実』は、三月の帝国と呼ばれる、湿原に閉ざされた「青の学園」 に、2月の終わりに転入してきた少女、水野理瀬の物語だ。

ゴシックホラーな空気が漂う作品で、内容は、わりとドロドロした学園モノのミステリー、とでも言ったらいいのかな?
話の中身もまあ面白いっちゃ面白いのだけど。幕開けの雰囲気の作り方が、もうなんというか秀逸なのだ。


プロローグは、記憶に関する「私」の考察から始まる。(ここでの語り手の「私」というのはおそらく、本編の主人公である水野理瀬の俯瞰的な視点だ。)
「記憶」というものがいかに曖昧なもので、自分の主観からの影響を受け易いか。
そんなことを、実体験を交えて淡々と語りながら、「私」は、「青の学園」にやってきてからの日々を振り返り始める。

説明の途中で、少女が列車で初めて学園へと向かう場面やら、当時まだ出会っていないはずの人との記憶やら、彼女自身は決して体験し得なかったはずの記憶やらが断片的に挿入される。
段々とカオスになりかけたところで、「麦の海に沈む果実」という題名の詩が登場し、いよいよ本編の始まり。

このプロローグを読んだときに喚起される、「謎めいた物語がこれから始まるんだ」という予感がものすごいのだ。ここから私達読者は、濃厚な読書体験に一気に引きずり込まれる。


今回は、その後に展開される本編の内容にはあまり触れないことにして、読み進めた最後には、これまた秀逸な幕切れが待つ。
もちろん、ネタバレになるので詳しくは書かないけれど、ラスト一文を読んだときの、思わず「あっ、」と言いたくなるあの喪失感と切なさ。
別に、最後の場面にびっくりするようなどんでん返しがあるとかではないが、きちんと仕掛けは効いていて、読後はしばらく余韻に浸ってしまう。



恩田陸は「ノスタルジーの作家」と呼ばれるだけあって、どの作品を読んでも、胸の奥から引きずり出される懐かしさと切なさが半端ない。
『麦の海に沈む果実』もその例に漏れない。
前に述べたような優れた幕開けと幕切れに加えて、湿原に閉ざされた全寮制の学園、ぶっきらぼうな少年や利発で美しいルームメイト、謎の日記、不気味なお茶会など、ゴシックホラーな雰囲気を作り上げる舞台設定がてんこ盛りだ。
これだけ謎めいた贅沢な雰囲気を作り出されると、雰囲気を味わうだけで満足で、もはや話の筋や展開の面白さはどうでも良くなってきてしまう。

近頃、雰囲気だけ感じがよく、中身はそれほど、という小説をたまに目にするけど、
「本当に雰囲気だけで勝負するなら、恩田陸くらいはやらないとね!」といつも思うのだ。



これからの人生の中で、そんな質問をされる機会はきっとないと思うけど、もし、「オープニングとラストが一番素敵だと思う作品は?」なんてことを聞かれることがあったら、迷わず『麦の海に沈む果実』と答えようと思っている。