ぐりまの読書日記

読書が好きです。本の感想など。

十二国記『白銀の墟 玄の月』小野不由美 感想 ~辻村深月さん「十二国記と私(小説新潮)」についても※オマケ~

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ついに戴国のお話に結着がついた…!!

とにかく結末が気になって、とばし読みで一通りは読んだものの、まだ気持ちが十二国記の世界から戻りきれてない。
まだじっくり読んだわけじゃないので、読み返せばもっと感じることはあるんだろうけど、
自分の中でも整理をつけるために、つらつら今の感想を書きたいと思います。

※ネタバレや個人的な話をたくさん含みますが、悪しからず。


【あらすじ】
安全な金波宮を旅立ち、偽王の支配する戴へと戻った泰麒と李斎。そこでは、国の保護を失った民達が、懸命に生き延びていた。
かつての驍宗の麾下たちは、阿選の討伐を逃れているのだろうか。そして、驍宗はどこへ消えたのかー。李斎は、隠れ住んだ心ある民達を頼りながら、驍宗が消息を絶った地、文州へと赴く。
そして、泰麒は白圭宮へと向かっていた。六年前、泰麒の角を斬り、玉座を奪った阿選に会うためにー。


【感想の前に思い出とか】
私が初めて十二国記を読んだのは、中学1年生くらいのときだった。
『風の万里』や、『図南の翼』なんかは、最初からのめり込んで、お気に入りの場面を何度も何度も読んだ。
友達と一緒に、「急急如律令!」とか言って使令に下るごっこをしたりしたこともあったなあ。


そんな中で、『黄昏の岸 暁の天』の初読時の印象は、ちょっと薄い。
『風の万里』のような、わかりやすいカタルシスを期待してしまってたのもあるし、
この巻でシリーズの長編は完結するものだと思い込んでいたので、
読み終わったときには、
「あれ?驍宗様は?
あれ?妖魔の跋扈する戴に戻って李斎と泰麒どうすんの??
泰麒が成長して戻ってきたのは良かったけど、これで終わり??」
と、はてなマークで頭がいっぱいになった。

当時、今ほど気軽にネットで検索できる環境にはいなかったけど、
どうやら続編も刊行されてなさそうだし、
まあ、スッキリしないけどこれで終わりなんだろう、と自分を納得させるしかなかった。


それから、数年後に『魔性の子』の存在を知って読んだ。
ホラーはそこまで好きではなかったので、『魔性の子』に対しては、
『黄昏の岸』と対になっているのはすごいけど、
とりあえず悲惨で怖い話、くらいの認識しか持っていなかったと思う。


高校時代に、新潮社から「丕緒の鳥」や「落照の獄」が、ぽつぽつと発表されているのを知ったりして、
もしかして十二国記はまだ終わっていないのだろうか、と、淡い期待を抱きながら過ごした。

病んでいた受験期に、『月の影』を読んで、「私も陽子みたいに強くなりたい」と励まされたりした。

以前はつまらないと感じていた「乗月」や「華胥」が、ふと読み返すと思いがけず胸に迫ってきたり、
『黄昏の岸』もじっくり読むと、水面下の対立の不気味さや、李斎の奮闘や静かな悟りが、じわじわと面白く感じられたりもした。

2012年になると、シリーズが新潮文庫に再編されることが決まって、
「やっぱり戴の話の続きが読めるんだ!!」
と、思ってからが長かったなあ。

既刊が改めて刊行されたり、短編集も出たりはしたけど、
長編については、「来年には刊行予定」とか、「執筆が長引いている」というお知らせが出るばかりで、
だんだんと待つのも辛くなってきて、
もはや「生きてるうちに読めたらラッキー」くらいの境地に達していたけど、
定期的に新潮社の公式ホームページをチェックするのだけは続けていた。


そんなときに「第一稿完成」のニュースがアップされて、あの麒麟便りを初めて見たときは、小躍りするほど嬉しかったものだ(実際に小躍りはしなかったけど)。

私なんかは、リアルタイムで読んでたわけじゃないから、当然もっと長い間待っていた方たちもいるわけで。

だからきっと、刊行日の前日に、仕事中新刊のことが楽しみすぎてニヤニヤしてしまったり、
いろんな本屋さんで、平積みされた十二国記の山を見るたびに、テンションが上がってしまう体験をしたのは、私だけじゃないはず、と信じている。


ーさて。
前置きがめちゃくちゃ長くなったけど、本題に入ろう。


【感想(1,2巻)】
第一章は、過ぎゆく秋の戴国で、荒廃で住む場所を失い放浪する園糸と栗の母子と、謎の男項梁の三人連れから始まる。

彼ら三人は、野宿するために入った山の中で、隻腕の女と少年の二人組に出会う。

見知らぬ二人組を警戒した、近くの里の若者、去思が、あわや少年を傷つけようかというときに、少年は姿を消していたこの国の麒麟、女は瑞州師中軍の将軍李斎であることが明かされる。
そして、母子と一緒にいた男、項梁は禁軍中軍師帥であり、去思は、かつて阿選に反意を示して殲滅された、瑞雲観の生き残りであることも明らかになる。
彼らは、誅伐を逃れ、行方知れずだった泰麒そして驍宗が戻るのを、密かに信じながら生き延びていたのだった…!


こーんな劇的な場面から物語は始まって、
18年の空白期間を感じさせないドラマチックな幕開けに、私は心の中で「きゃー!」と叫びまくっていた。


天の配剤としか言いようのない偶然によって、瑞雲観の残党に出会った泰麒と李斎は、各地の道観のネットワークを頼りに、項梁と共に文州へと旅に出る。

その途上、泰麒は李斎には何も告げず、民の救済のために白圭宮へと向かう。
ここから、病んだ人々の溢れる白圭宮での泰麒の孤軍奮闘と、
驍宗を探しながら仲間を集めていく李斎との、両サイドを描いて物語は進んでいくー。


1,2巻では、泰麒の内面が描かれることはほとんどない。
最初は変わらずに驍宗を慕い、民に誠実に対する様子の泰麒だけど、
宮中に入ってからは、官吏に対して、ときに麒麟とは思えないほどの冷徹な態度を示し、
「天意は驍宗から去り、阿選が新王である」と言い放つ。

この泰麒の冷徹さが、統制を失い右往左往する宮中では痛快にさえ感じられるけど、
あまりに泰麒の内面が見えなさ過ぎて、「新王阿選」というのは、民を救うための泰麒の策略なのか、それとも真実なのか、近くに侍る項梁でさえわからなくなる。

当然私達読者も、「え、驍宗様が王で間違い
ないんだよね?阿選じゃないよね…??」
と困惑させられてしまう。

一方李斎サイドでは、なぜかいきなり土匪の人達が登場していつの間にか仲良くなったり、
いろんな仲間やあやしげな奴らに遭遇したりする。
そうこうしながら驍宗様を探すうち、
「驍宗様が死んでしまった…?」なんていう疑惑も出てきて、
なんとそのまま二巻は終わってしまう。
なんてこった!

それから一ヶ月、私は大変もやもやしながら、3,4巻の刊行を待たなければならなかった。

この間、
「新王阿選」は泰麒の策略なのか、
阿選はなぜ謀反を起こしたのか、
老安で死んだ武将は本当に驍宗様だったのか、
驍宗様が生きているならどこにいるのか、
などの疑問について、私もぐるぐる考えたし、
ネット上でもさまざまな考察が飛び交っていた。


【感想(3,4巻)】
一ヶ月後、待ちに待った3,4巻が刊行されると、前述の疑問の多くには、あっさりと答えが示された。

「驍宗が王だ」と言い切る泰麒に、項梁と一緒に私もほっとして、
「老安で死んだのは驍宗じゃなくて別の武将だった」という沐雨様に、李斎たちと一緒に私もほっとした。
そこからが泰麒の面目躍如だった。

一人、阿選のいる六寝へと忍び込んでみせた泰麒は、
謎の凄腕少女、耶利の信頼を勝ち得ながら、
今度は、拷問を受けているという正頼を探すために、再び六寝へと忍び込む。

このときに初めて、蓬莱から帰還した泰麒が、『魔性の子』を経てこその泰麒であることが、私達読者に明らかになる。

自分が蓬莱に帰ったことで、巨大な惨禍が引き起こされたことを自覚している泰麒は、
大きな災禍を引き起こしてまでも、生き延びて戻って来たからこそ、
何としても民を、驍宗を救わなければならないという、強い意志を持っていたのだ。

麒麟としての本性に逆らって、妨げようとする兵士には暴力を振るってまで正頼を助けだそうとしたり、
王ではない阿選に、強固な意志の力で叩頭したり(血涙を流しながら…!!)。

阿選側の官吏や信頼できない相手に対しては、ものすごく冷徹な態度を見せる泰麒だけど、
常に冷静沈着というわけでもなくて、
正頼を助け出せなかったときや、阿選が恵棟を切り捨てたと知ったとき、巌趙に再会したときとかは、
泣いたり、逆上したり、感情のひだを見せることもある。

それでも、決してその感情に振り回されることなく、
目的を確実に果たそうとする強い意志を持った泰麒の姿を読みながら、
彼を応援しないではいられなくなった。

妖魔を使い、味方する勢力を殺ごうとする阿選の計略にも負けず、泰麒は瑞州の民の救済を、着実に進めていく。


一方李斎サイドでは、1,2巻で登場したあやしげな人たちが、実は密かに阿選を倒そうとしている人達だったとわかったり、
軍とは相容れないはずの土匪を助けて、一緒に王師を倒す胸熱の展開もあったりした。

そんな中、なんと驍宗は自らの手で、閉じ込められていた涵養山を脱し、李斎達のもとに戻ってきた。

こうして、驍宗が戻り、兵力も集まり、阿選を倒す道筋が見え始めた矢先、
阿選が本気で泰麒を、驍宗達を潰しにかかってくる。

泰麒は自由を奪われ、宮中で再び孤立し、
驍宗は阿選軍に捉えられ、李斎や霜元率いる反乱軍は、王師により壊滅状態に陥る。

がーん…。まさかの上げて落とす展開。

絶望的な状況の中、民衆の前で処刑されることになった驍宗をせめて解き放とうと、死を覚悟して鴻基へと向かう李斎達。
その直前、李斎やほかの武将達が、部下に、戴国のその後を託すために、延へ逃げるよう説得する場面があるのだが、
部下たちは、それぞれの理由で説得に応じず、李斎たちと共に鴻基を目指す。
ここで描かれる彼らの主従関係が泣ける。

各々の思いを秘めて、迎える処刑の日の前日、李斎の目に映る七年ぶりの鴻基の景色の美しさが印象的だ。
その美しさと、やがて起こるだろう悲劇との落差に、李斎は自分の無力と無意味さを感じるのだった。


そして、クライマックス、処刑場で、
泰麒が、止めようとする兵士を自らの手で斬りながら、
耶利や飛び出した李斎の援護を受け、
やっとの思いで驍宗のもとにたどり着く場面は圧巻。

泰麒と驍宗は多くの言葉を交わすわけではない。
それでも、六年間、互いが互いを案じていたこと、言葉にならない絆が伝わってきて、胸が熱くなる。

そして、角が折れていたはずの泰麒が、驍宗の前で転変してからは一気呵成だ。
潜伏していた英章、臥信軍が鴻基へと助けに駆けつけ、驍宗達は江州城へ逃げ込む。
その後、彼らは雁国の助けを受け、やがては阿選を討って騒乱を平定するのだった。

✳ ✳ ✳ ✳

なんというか、驍宗と泰麒を無事奪還して江州城に逃げ込んでからのことは、後日譚的な感じでさらさらさらーっと書かれているのだが、
ここの内容が、少ないページ数でめちゃくちゃ濃い。

英章・臥信の、驍宗との再会とか、
延王・延麒と李斎の、金波宮で別れてからぶりの再会とか。
花影が生きてたこともさらっと書かれるし、
巌趙が混乱に乗じて正頼を助け、追撃を防ぐ為にその場に残って今も行方不明だということも、けっこう衝撃的だけどさらさらっと書かれている。

さすが、「堪え忍ぶに不屈、行動するに果敢」と云われる戴の人々だけあって、
泰麒、驍宗は言うまでもなく、臣下についても、あっさり書かれるエピソードの一つ一つがとっても苛烈だなあと思った。


そして、処刑の前日には鴻基の美しさと自分の無力さに絶望していた李斎が、
「過去に積み上げた小さな石が現在を作り、今が未来を作るのだ」と感じるようになったのは感慨深かった。

強大な阿選の力の前に、「全ては無意味だったのか」と絶望したこともあったけど、決してそうではなかった。

泰麒が民の救済のため、白圭宮に乗り込んで、
決死の思いで正頼に接触したことも、
まわりの兵を斬ってまで驍宗のもとへ向かったことも、
李斎たちが土匪と共に州師と戦い、敗れたことも、
死を覚悟して処刑の場に向かったことも、
全てがつながって、このラストがあったのだ、と感じた。


読む前は、天の摂理は正されるけど驍宗と泰麒は死んじゃうんじゃないかとか、
李斎まで生き残ることはないだろうなとか、
けっこうなバッドエンドも予測してはいたのだけれど。

蓋を開けてみれば、驍宗、泰麒、李斎の主要キャラはちゃんと生き残って、
阿選も討つことができて、
その後の驍宗の治世は末永く続くことが予感される終わり方だった。

めでたしめでたし、のはずなのだが、手放しで喜べない感じは残った。

この『白銀の墟』には、たくさんの人物が登場して、その中でたくさんの人々が命を落とした。
鄷都に淵澄、朽桟、余沢、ただ姿を消した、夕麗や静之。

江州城入城後の後日譚は、生き残った人々に再会できた喜びと、命を落とした人々を思う悲しみと、両方を描いている。

物語の途中では何度も不気味に登場した兵士の歌が、
最後には、生き残った李斎、そして去思が死者を悼む歌として出てくる。

そんなこの世の無常を描きながら、それでも「こういうときは、生き残った者の数を数えるんだ」という項梁の言葉が力強い。


そして、園糸と栗が、項梁の安否を知らぬまま、東架で懸命に働く様子が丁寧に描かれたのち、
例によって「戴史乍書」でジ・エンドとなる。

物語が、園糸、栗、項梁の三人が去思と出会うところから始まって、
最後は、去思と項梁の会話からの、園糸・栗の様子で締めくくられる、
この終着の仕方が素敵だなと思った。


✳ ✳ ✳ ✳

…終わったー!!

この長い長い物語を、決して破綻させることなく、18年のブランクにも関わらずテンションを落とすこともなく、
しっかりと終わらせてくださった小野不由美先生には、賞賛と感謝の言葉しかない。

もちろん、欲を言えば、その後の泰麒と驍宗の様子とか、陽子と景麒のこととか、もっと読みたい話はたくさんあるし、
来年の短編集はとっても楽しみだし、
更なる長編も読みたいとは思うけど。

十数年待った物語の結末を、やっと読めたんだなーというのが感慨深くて、今はけっこうお腹いっぱいかも知れない、、、。

魔性の子』の惨禍とか、
『風の海』で王を選ぶときの泰麒の迷いや、叩頭のエピソードとか、
全部、この『白銀の墟』まで見据えて書かれていたのかと思うと、改めて鳥肌ものだった。


【残った気になる謎】
・琅燦は明らかに阿選をそそのかしているけど、敵じゃなかったのか?
・耶利の主公は誰だったの?
・玄管って結局誰?
・泰麒の角が戻ったのはいつ?

流れ的には、耶利の主公と玄管はどちらも琅燦だったとも読めるし、
そうではないような感じもする。
どっちにしろ不可解なことは残るけど、情報が少なすぎて何とも言えない!!

泰麒の角に関しては、素直に読めば、あの膝がっくん事件のときに回復したんだと思われるなあ。
たぶん、あのとき以降驍宗の王気が見えるようになったから、文州に向かって礼をするようになったんだろう。
驍宗の居場所がわかっても、泰麒が白圭宮にとどまり続けたのは、
文州に行くより、宮中にいたほうが、自分にはやれることが多いと考えたからなんだろう。
(もし使令まで戻ってたら、もう何でも有りになっちゃうから、
使令はまだ戻ってきてなかったんだろうな…。)


あと、巌趙に、泰麒のもとに仕えるよう説得した「ある人物」が誰だったのかも、地味に気になる。

それは巌趙に聞けばいいのか!
…と思ったけど、巌趙は最後行方不明になってしまったのだった……と思い出した。

…まあ、来年の短編集で、いろいろ明かされることを信じよう。


とにかくとにかく、本当に面白かった!!


長文、読んでくださり、ありがとうございました。


追記(11/29)
小説新潮」に掲載されている、「十二国記と私」という辻村深月さんの文章を読んだ。
…感動した。
さすが、辻村深月さん!
私たち十二国の民の、泰麒への、小野主上への、十二国への思いを、この上なく真摯に、てらい無く、余すところなく書きあげてくれている。(しかも、新刊に関しては一切ネタバレすること無く、である!!)

辻村深月さんは、私がティーンエイジャーのときには既に、私にとっては憧れの対象だったけど、
同時に、私たちと同じ側に立って、私が夢中になって読んでいた本への憧れを語ってくださることもあって、
親近感を抱かせてくれる作家さんだ。

そう長くはないこの「十二国記と私」という文章を読んで、何度も、「そうだよね!そうなんだよね!」と強く頷いて、
自分で新刊についてダラダラと感想を書いても消化しきれなかった興奮が、やっと昇華された感じがした。

ありがとう辻村深月さん、私の思いをこんなにも的確に代弁してくれて。