ぐりまの読書日記

読書が好きです。本の感想など。

なかなか完結しないシリーズ(後編)

めちゃくちゃ面白くて続きが気になるけど、何年経っても何十年経っても完結しないシリーズってあるよね。
半分諦めながらも、ネットで新作情報を定期的に検索してしまったり、10年越しの続編刊行に歓喜したり。
そんな、私たちを虜にしてやまないシリーズたちを紹介する、「なかなか完結しないシリーズ」の後編です。

(誰も読んでる人いないと思うけど、なかなか完結しないシリーズ(前編)という記事を数年前に公開しており、その後編記事をやっと今回出せたという次第…。)


『図書館の魔女』シリーズ(高田大介)


大人になると、夢中になって読めるファンタジーシリーズに出会うのって、なかなか難しいことだと思う。私がそんな稀有な出会いをできたのがこの「図書館の魔女」シリーズ。
この本に関しては個別でも紹介しているので、詳しい説明はそちらに譲るが、「剣や魔法ではなく言葉の力で世界を変える」がキャッチフレーズの、世界観がめちゃくちゃ作り込まれた、しかも「ボーイミーツガール」という、知的好奇心もエンタメ要素も満たしてくれる作品である。

今までに出ているのは、『図書館の魔女』(文庫版だと全四巻)と、スピンオフ的な内容の『烏の伝言』(文庫版上下巻)で、本編の続編としては『霆ける塔』の刊行が予告されているのだけど、この『霆ける塔』が、なっかなか出ない。
私の持っている『図書館の魔女』文庫本の帯には、「2017年刊行予定」と書いてあるのだけど、あれ?刊行予定年からもう五年以上経ってる?
この続編に関しては、私の知る限り最近は音沙汰がなくて、ちなみに作者の高田大介さんは今、『記憶の対位法』という作品を、東京創元社の『紙魚の手帳』に連載中。未読だけど、「多声音楽の誕生を巡る長編ミステリ」とのことで、これまた、どこからそんな知識が湧いてくるんだ…と言いたくなるようなニッチなテーマだ。本になったらこれも絶対読みたいな。

ともあれ、そんな長編ミステリを書いてるくらいだから、『霆ける塔』の刊行はまだまだ先かな、とちょっと悲観している私である。
『図書館の魔女』の中で物語は一応ひと段落しているのだが、まだまだ解決していない問題がたくさんあって、ラスボス的な人も倒せていないしで、続編もけっこうな大作になる見込み。いつ出るのかな。楽しみだな。


古典部シリーズ(米澤穂信

私の中で地味に気になっているのが「古典部シリーズはいつ完結するんだ」問題である。
古典部シリーズ」は、「省エネ主義」をモットーに掲げる高校生の折木奉太郎を主人公とする、日常の謎系ミステリだ。
彼が高校入学を機に古典部に入部し、旧家のお嬢様千反田える、中学からの同級生の福部里志伊原摩耶花と、古典部の活動に勤しんだり、学校生活に潜む謎に挑んだりする様子が描かれる。
中には長編の巻もあるが、一話完結型の連作短編集的な趣が強いシリーズだと個人的に認識している。
ただ、名探偵コナンとか、サザエさんなどのような、登場人物が永遠に歳を取らずに様々な事件に出会いながら一年をループするタイプの物語と異なる点は、時間の流れがしっかりと設定されていることだ。
折木ら主要登場人物が高校入学して間もなくの春に物語が始まり、巻を追うごとに季節は夏から秋、冬へと流れ、学年も上がる。最新作『いまさら翼といわれても』では、折木たちが2年生の夏休みのエピソードが収録されている。
古典部メンバー同士の関係性も、ゆっくりと変化(進展?)していくのが味わい深いのだ。

しかし、ここで問題にしたいのが、シリーズが刊行されるのにかかった年数である。
シリーズ第一巻『氷菓』が刊行されたのが2001年。
最新作『いまさら翼といわれても』の刊行が2016年。
入学してから高2の夏までの一年半弱を描くのに、15年かかっている。
そんな単純な話ではないかもしれないが、もし仮に、古典部シリーズの完結が、奉太郎たちが高校を卒業するときだったとして、高校生活の残りの一年半を書くのに同じ年数だけかかるのだとすれば、シリーズが完結するのは2016年から15年後の2031年頃という計算になる。
あと7年もかかるのか、という思いにもなるが、それはまだ楽観的な予測にすぎない。
直木賞や数々のミステリー関連の賞を受賞し、超売れっ子作家になった作者、米澤穂信さんは、古典部シリーズ以外にも幅広い作品を執筆している。
古典部シリーズに割く時間は、デビュー当時に比べたら必然的に少なくなっているだろう。
次の巻が今から数年以内に刊行されるのかも定かではないし、完結には今の時点からあと15年くらいかかっても全く不思議ではないと思う。
あと15年後……。となると、作者の米澤さんはおいくつになられるのだろう。
いや、その前に、私はその頃何歳だ?
と考え始めると、なんだか気が遠くなってくる。
そんなに歳を取った頃に古典部シリーズを読んで、今と同じ気持ちで楽しめるのだろうか…。
心配にはなるけれど、考えてみれば、私が古典部シリーズを読み始めたのも10年以上前だったわけで。
その頃と今とで何か意識が変わったり、ものすごく大人になったりしているかといえば、そんなこともない。意外と昔と同じような本を読んで、同じように楽しんでいる。
時が経っても、人間そこまでものすごく変わることなんてないのかもしれない。

さて、本シリーズにおいて、折木と千反田の関係性が今後どう変化していくかはとても気になるところ。
その他にも、後輩大日向の抱える問題や、彼らの各々の進路、摩耶花たちの「伝説の一冊」など、大きく広げられそうな風呂敷はたくさんある。
古典部員たちの未来がじっくりたっぷり描かれることを、楽しみに待ちたい。

 


十二国記小野不由美


「いつまでも完結しないシリーズ」といえば、真っ先に思いつくのが十二国記である。
2019年に、長編としては18年ぶりに刊行された『白銀の墟 玄の月』。
これに関しても、別の記事で感想を書いているので、ここでは詳しくは触れないが、とにかく待ちに待った新刊だった。

さて、新作長編が刊行されて、一段落ついた感のある「十二国記」シリーズ。今後新たに長編が刊行されるのかは不明だが、短編集の刊行は予告されている。
一段落ついた戴の物語の、落ち穂拾い的な短編集になるとのことだ。

この短編集、もとはといえば、2020年内の刊行予定だったはずなのだが、2024年の今になっても、まだ発表される気配がない。
早く読みたいとは思うけれど、前作『白銀の墟 玄の月』を10年以上待った身としては、もはや「生きているうちに読めたらいいかな」と悟りを開いた気分である。
長編の中で語り切れなかった物語が読める日を、気長に、でも首を長くして待ち続けたい。

 

いかがだったでしょうか?

新刊がなかなか出ないのはつらいけど、その分ついに読めた時の感動は言葉にできませんよね!

もし気になった作品があれば、ぜひ手に取っていただいて、続編を待つ苦しみと楽しみを味わっていただければと思います。

『昨日がなければ明日もない』宮部みゆき 感想

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宮部みゆきの文庫本新刊が、本屋さんに行くとずらりと平積みされていた。

「昨日がなければ明日もない」という、なんだかリズミカルで意味深なタイトル。
黒地に素朴なイラストの雰囲気にも惹かれ、手に取った。

どうやら、探偵もののシリーズの中の、短編集らしい。私立探偵事務所に、依頼人が話を持ち込む場面から始まっている。

依頼人との適当な距離感を保ちながら、丁寧に依頼内容を聞き取る探偵。
娘の居場所がわからず、動揺する依頼主の婦人をなだめながら、必要な情報を一つ一つ確認していく。
三者の視点から冷静に話を聞く探偵だが、相手の感情に寄り添う優しさも忘れていない。

探偵の名前は、杉村三郎。
冒頭部分を読んだだけで、この探偵が、常識的かつ紳士的で、親しみやすそうな人物であることが伺える。
こんな人柄の人物が主役の本なら、安心して読書の時間を委ねられそうだとなんとなく思う。
依頼内容の不穏さにも興味をそそられて、思わず本を手にレジへと向かってしまった。


『昨日がなければ明日もない』は、3つの中編から構成されている。
一作目の「絶対零度」は、この本の半分近くのボリュームを占める作品で、娘の自殺未遂をいきなり知らされ、娘婿に面会を拒絶された婦人のために、杉村が自殺未遂の原因や娘の居場所を探っていく話である。
過去にサラリーマン勤めをしていただけあって、とても常識的な感覚を持っている印象の杉村だが、必要とあれば嘘をついてでも相手から情報を引き出す様子も描かれる。
依頼人が望みもしなかった真相に、杉村が辿り着いたとき、そしてタイトルの「絶対零度」の意味がわかったとき、衝撃で一瞬放心状態に陥った。


他に、杉村が付き添いを頼まれ参加することになった結婚式でのトラブルを描いた「華燭」、周囲を振り回してばかりのシングルマザーからの依頼を受ける表題作「昨日がなければ明日もない」を収録している。

「困った女たち」が多数登場する本作の中で、探偵杉村は、依頼された内容にしっかり応えるだけでなく、その向こうにある本当の事件を見つけ出す。
皮肉なのは、真相に辿り着いたところで、必ずしもそれが事件を解決したり、未然に防いだりすることにはつながらないということだ。
事件は既に起こってしまっていたり、杉村の関知し得ないところで発生していたり。
何でも解決できる全能な探偵ではないけれど、それでも真摯に事件に向き合おうとする主人公の姿勢に親しみが湧くし、尊敬できると思った。

また、本作の所々で、杉村には、離婚した妻との間に娘がいることが言及されている。
杉村が妻と別れ、私立探偵になるまでには、紆余曲折あったみたいで、そのことは、『誰か』『名もなき毒』『ペテロの葬列』という三部作にかかれているらしい。
私はこの三部作は未読のまま『昨日がなければ明日もない』を読んで充分楽しめたけれど、彼がどういう経緯で私立探偵になったかは、気になるところである。
でもきっと、どれもかなりヘビーな話なんだろうな…。どうせ読むなら、三部作をしっかり読みたいけど、ガッツリ読むには覚悟が要りそうだ。

私が杉村三郎のシリーズを全て読み尽くす時が来るのかは謎だが、また彼が主人公の短編集とかが出たら、読みたいなーと思った。

新刊を待つもどかしさと、楽しさと。 〜なかなか完結しないシリーズ〜(前編)

シリーズものの本をリアルタイムで追いかけるのって、
楽しいけど、続編を待つ間がもどかしくて辛いですよね。

割とコンスタントに新刊が出るシリーズならまだ耐えられるけど、
中には5年に一冊くらいの頻度でしか進まないシリーズもあったり、
いつ続編がでるかわからないまま、十年以上も凍結しているものもあったり。

でも、待つのが辛い分、新刊がやっと手に入った瞬間は、踊り出したくなるくらい嬉しいし、本を開くのが本当にわくわくします。

ということで、今回は、いつ完結するかわからない、けどめちゃくちゃおもしろくて続きが気になるシリーズたちをご紹介!

みなさんも、この機会に、続きものの本の沼にハマってみませんか??




チョコレートコスモス』三部作(恩田陸
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美内すずえさんの少女漫画、『ガラスの仮面』をご存知の方は多いだろう。
無名の少女北島マヤが、演技の才能に目覚め、ライバルと切磋琢磨しながら、伝説の舞台「紅天女」の主役を目指す物語である。

そして、直木賞作家の恩田陸さんも、ガラスの仮面の大ファンであることを公言されている。

そんな恩田陸さんが、ガラスの仮面へのオマージュ的な小説として書いたのが『チョコレートコスモス』だ。
芝居を始めたばかりの天才少女、佐々木飛鳥と、演劇界のサラブレッド、東響子たちを描く物語で、
彼女らが舞台での演技やオーディションに挑む場面が、小説の大半を占める。
芝居の場面の臨場感は最高、ハラハラドキドキ、言うことなしの面白さで、一度ページを開いたら一気読みは必至の一冊。

さて、私が『チョコレートコスモス』を読んで数年後、文庫版が発行されたのだが、そのあとがきを見てびっくり。
なんと、『チョコレートコスモス』は三部作の第一作目で、続編の『ダンデライオン』を執筆中だというじゃないか!

佐々木飛鳥と東響子の才能のぶつかり合いがまた読めるなら、ぜひ読みたい!!楽しみ!!



…と、思って、『ダンデライオン』の刊行を待っているのだが、その後何の音沙汰もなく、10年くらいは過ぎてしまった。

ダンデライオン』は、「本の時間」という雑誌に連載されていたようなのだが、「本の時間」が休刊になったところから、作品の執筆も止まっているらしい。
なんということ。

2作目でこんな調子ということは、もし、運良く『ダンデライオン』が刊行されたとしても、3作目まできちんと完結する望みなんてとても薄いような気がする…。
ついでに言うと、本家『ガラスの仮面』も49巻のとても気になるところで止まってるし。

それでも、いつか続きが読めるかも!という望みは捨てられていない。
せめて今書かれているところまででいいから、『ダンデライオン』が読みたいな……。



『海が聞こえる』シリーズ(氷室冴子
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2番目にご紹介するのは、いくら待っても、もう完結することはないシリーズ、『海が聞こえる』。

作者の氷室冴子さんといえば、『なんて素敵にジャパネスク』などで有名な、少女小説作家さん。

氷室さんの作品は、そこまでたくさん読んだことがないので恐縮だが、
少しだけ読んだ感触でいえば、プロットが練られてテンポの良い、「よくできた小説」という印象だった。

そんな氷室さんが、それまでの作品とは少し方針を変えて、プロットやお話の構造にこだわらず、思い浮かんだシーンを書きたいように書こう、と思って書いたのが『海が聞える』らしい。


高知から上京してきた大学生の杜崎拓が、友人との電話をきっかけに、高校時代の出来事を振り返るところから、物語は始まる。

東京から、拓の通う田舎の高校に転入してきた、美人で気安く周囲と馴れ合わない女子、武藤里伽子。
お人好しの拓は、ひょんなことから、里伽子のある「計画」に付き合わされることになる。
また、里伽子のことが原因で、親友松野との関係にも変化が訪れ…
というお話。

読んでみると、何か劇的な出来事とか、「このエピソードは、この結末のために必要な伏線だったんだ!」とか、そういう展開があるわけではなく、
印象的な場面がふっと現れては、また別の場面に切り替わって、というような感じで進行していく。

一つひとつのエピソードも、変に美化されておらず、身近にありそうな下世話な話や、「なんじゃそりゃ」と気が抜けてしまうような場面も多い。

それがまたいいのだ。

実際、青春って、何気ない出来事の積み重ねだったりすると思う。
昔はものすごく嫌い合っていた人同士も、久々に会ったら、何のきっかけもないのに打ち解けて話せたり。
傍から見れば、なんてことのない些細な出来事や、どんな意味を持つのかわからない雑音のようなことが、あとから振り返れば自分にとって、かけがえのない意味を持つ時間になっていたり。

そういう人生の一コマ一コマが、主人公杜崎拓の語りによって、おおらかに描写されているのが素敵だと思う。
ときおり、大事なところで飛び出す土佐弁も、いい味を出してる。


ちなみに、私の地元の図書館にはなぜか、続編の『アイがあるから』だけが置かれていて、
そのせいもあってか、個人的にはどちらかというと一作目より二作目のほうが思い入れが強い。

二作目では、舞台はすっかり東京での大学生活に移る。
相変わらず拓は里伽子に振り回されるが、ちょっとずつ二人の仲は近づいていき、それにほっこりさせられる話だった。


さて、その『アイがあるから』のあとがきで、氷室さんが「あと一作、彼らにお付き合いください」と書いていることから、
もう一作で『海が聞こえる』は完結する予定だったのだろう。
彼女が51歳の若さで、肺がんのため亡くなられたのでので、それももう叶わないことになってしまったけれど…。


杜崎拓は、どんな進路を選ぶんだろうな、とか、
里伽子とも、なんだかんだで仲良くやっていくんだろうな、とか。
彼らの未来を想像すると、とても温かい気持ちになるし、
だからこそ、完結編が二度と読めないのは、とても惜しい。

描かれなかった、彼らの未来に思いを馳せながら、私は今も氷室冴子さんの夭逝を惜しんでいる。

   ※   ※   ※

なかなか完結しないシリーズ、後編へ続く〜

『麦の海に沈む果実』恩田陸 感想

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世の中に面白い本はたくさんあるし、素晴らしい作家さんも大勢いる。
誰のどの作品が一番好きか、なんて質問をされたときは、決めかねて困るので、とりあえずの暫定的な答えをするようにしている。

けれども、物語の幕開けと幕切れに関しては、私の乏しい読書歴の中に限れば、これが最も優れているのではないかと、割と確信を持って言える本はあるのだ。


恩田陸の『麦の海に沈む果実』である。


『麦の海に沈む果実』は、三月の帝国と呼ばれる、湿原に閉ざされた「青の学園」 に、2月の終わりに転入してきた少女、水野理瀬の物語だ。

ゴシックホラーな空気が漂う作品で、内容は、わりとドロドロした学園モノのミステリー、とでも言ったらいいのかな?
話の中身もまあ面白いっちゃ面白いのだけど。幕開けの雰囲気の作り方が、もうなんというか秀逸なのだ。


プロローグは、記憶に関する「私」の考察から始まる。(ここでの語り手の「私」というのはおそらく、本編の主人公である水野理瀬の俯瞰的な視点だ。)
「記憶」というものがいかに曖昧なもので、自分の主観からの影響を受け易いか。
そんなことを、実体験を交えて淡々と語りながら、「私」は、「青の学園」にやってきてからの日々を振り返り始める。

説明の途中で、少女が列車で初めて学園へと向かう場面やら、当時まだ出会っていないはずの人との記憶やら、彼女自身は決して体験し得なかったはずの記憶やらが断片的に挿入される。
段々とカオスになりかけたところで、「麦の海に沈む果実」という題名の詩が登場し、いよいよ本編の始まり。

このプロローグを読んだときに喚起される、「謎めいた物語がこれから始まるんだ」という予感がものすごいのだ。ここから私達読者は、濃厚な読書体験に一気に引きずり込まれる。


今回は、その後に展開される本編の内容にはあまり触れないことにして、読み進めた最後には、これまた秀逸な幕切れが待つ。
もちろん、ネタバレになるので詳しくは書かないけれど、ラスト一文を読んだときの、思わず「あっ、」と言いたくなるあの喪失感と切なさ。
別に、最後の場面にびっくりするようなどんでん返しがあるとかではないが、きちんと仕掛けは効いていて、読後はしばらく余韻に浸ってしまう。



恩田陸は「ノスタルジーの作家」と呼ばれるだけあって、どの作品を読んでも、胸の奥から引きずり出される懐かしさと切なさが半端ない。
『麦の海に沈む果実』もその例に漏れない。
前に述べたような優れた幕開けと幕切れに加えて、湿原に閉ざされた全寮制の学園、ぶっきらぼうな少年や利発で美しいルームメイト、謎の日記、不気味なお茶会など、ゴシックホラーな雰囲気を作り上げる舞台設定がてんこ盛りだ。
これだけ謎めいた贅沢な雰囲気を作り出されると、雰囲気を味わうだけで満足で、もはや話の筋や展開の面白さはどうでも良くなってきてしまう。

近頃、雰囲気だけ感じがよく、中身はそれほど、という小説をたまに目にするけど、
「本当に雰囲気だけで勝負するなら、恩田陸くらいはやらないとね!」といつも思うのだ。



これからの人生の中で、そんな質問をされる機会はきっとないと思うけど、もし、「オープニングとラストが一番素敵だと思う作品は?」なんてことを聞かれることがあったら、迷わず『麦の海に沈む果実』と答えようと思っている。

大人になっても読みたい!海外ファンタジー5選

今週のお題】今こそ読書感想文

皆さんは、子供の頃、海外のファンタジーを読んでいたでしょうか。
ハリーポッターに、ダレン・シャン、黄金の羅針盤デルトラ・クエスト…。
面白い海外ファンタジーは、数えてみれば山ほどあって、幼い頃、時間を忘れて読み耽ったけれども、いつの間にか読まなくなってしまった、という方も少なくはないと思います。
そんな海外ファンタジーは、大人になった今だからこそ、久しぶりに読んだら意外と夢中になれるのかも…。

ふとそんなことを考えて、今日は、大人になっても夢中になれる海外の児童文学を、気ままに紹介したいと思います。


バーティミアスシリーズ」(1〜3巻)
(ジョナサン・ストラウド)
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あらすじ
魔術師が、異界から妖霊を召喚し使役することで、圧倒的な権力を持つ世界の物語。
年老いた魔術師の家で魔法修行に励む少年、ナサニエルは、ある日、エリート魔術師ラブレースに恥をかかされてしまう。ナサニエルが復讐のために呼び出したのは、バーティミアスという5010歳の妖霊だった。バーティミアスナサニエルは、ラブレースへの報復を企むうちに、魔法界を揺るがす大きな陰謀へと巻き込まれていく……。

まずは一作目。「バーティミアス」三部作。
なんと言っても魅力的なのは、バーティミアスの存在である!
5段階ある妖霊の等級の中で、3段階目の「ジン」にあたる彼は、それほど飛び抜けた力を持つわけではない。しかし、古代エジプトの歴史書にも登場するほどの由緒正しき(?)活躍をしてきただけあって、悪知恵と、狡猾さと、ユーモアと、プライドと、口の悪さだけは、バーティミアスの右に出る者はいないのだ。
純真な少年ナサニエルが、この憎めない妖霊バーティミアスとタッグを組んで(使役して)、陰謀へと立ち向かう1巻は、バーティミアスと妖霊仲間との丁々発止のやり取りも相まって、大変楽しい。

さて、純真だったナサニエル少年だが、2,3巻では、既に心の汚いエリート魔術師達の仲間入りをしてしまっている。権力は人を変えてしまうんだな…。
生来おちゃめなバーティミアスも、ナサニエルに度々呼び出され、こき使われて疲弊しているのがなんだか悲しい。
しかし、安心してほしい。ナサニエルと、使役される悪魔バーティミアスとの、なんとも形容し難い絆は、物語が終わるまで、しっかり続いていく。

3巻で、この二人が迎えるラストはもう、なんというか、ネタバレになるので詳しくは書けないけど、ものすごい。こんなに楽しくて、こんなに切ない余韻の残るファンタジーを、私は他に知らない。



「古王国記シリーズ」(1〜3巻)
ガース・ニクス
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あらすじ
サブリエルは、ネクロマンサーを父に持つ、18歳の女学生。アンセルスティエールの学校で、寄宿舎生活を送っていた。卒業間近のある日、父アブホーセンが仕事で使っていたはずの7つのベルが、サブリエルの手元に突然届けられる。父に抜き差しならない事態が起こり、道具を娘に託したに違いない。
そう考えたサブリエルは、姿を消した父を探し出し、魔法道具を届けるため、魔法が息づき、死者と魔物が跋扈する地、古王国へと赴くー。

『サブリエル』は、ダークファンタジーである。
古王国と隣接する町、アンセルスティエールの学校では、成績優秀、冷静沈着で、魔術の腕前もピカイチだったサブリエルだが、古王国では、右も左もわからず孤軍奮闘し、魔物やら死者やらしゃべる猫やらに振り回されるのが印象的。
あの世とこの世のあいだにある世界、冥界の描写が興味深い。人の魂は、人の体を抜け出ると、冥界の川に流され、9つの門を一つ一つくぐり抜けていくのだ。9番目の門をくぐった者は、二度とこの世に帰ってくることはない。
死を恐れる者は、肉体が死んでも、何度も冥界の川の流れに逆らってこの世に戻り、他の人間の肉体や動物などに取り憑いて、魔物となる。そんな死霊を、自然界の摂理通り、冥界の奥へと戻してやるのがネクロマンサーの役割。様々な魔法や、7つのベルを駆使して、死霊と戦い、時には冥界を歩き回る。
この7つのベルというのがなんともまた魅力的なのだ。ベルにはそれぞれに名前と役割がある。例えば、サラネスというベルは、大きくて低い音を鳴らし、聞いたものの行動を縛る力がある。ランナは最も小さいベルで、聞いたものを眠らせてしまう。中には、音を聞いた者を、冥界の第九の門の奥へと、永遠に送り出してしまうものもある。
ベルによって、扱い易いものもあれば、注意が必要なものもあり、めったに使わないようなベルもある。主人公のサブリエルが、状況を判断しながらベルを使い分け、魔物に対峙する姿がかっこいい。

なお、古王国記シリーズは、2巻『ライラエル』、3巻『アブホーセン』へと続く。巻を追うごとに、物語はより世界の成り立ちに関わる話に入り込んでいく。



『バウンダーズ この世で最も邪悪なゲーム』
ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
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あらすじ
イギリスのロンドンに住んでいた、ごく普通の少年ジェイミーは、ある日、「あいつら」の邪悪なゲームに巻き込まれ、様々な異世界を放浪する「バウンダーズ」となってしまう。あるときは海の上、あるときは戦いの国、数々の異世界を、一人孤独に旅するジェイミー。そんな彼が、自分以外の「バウンダーズ」に出会ったとき、事態が動き出すー。
果たしてジェイミーは、「あいつら」のゲームを終わらせて、もといた世界へと戻ることができるのか…?

ダイアナ・ウィン・ジョーンズといえば、イギリスファンタジーの名手。『クレストマンシー』シリーズや、『花の魔法 白のドラゴン』、『私が幽霊だったころ』、『九年目の魔法』など、著書は多数ある。ジブリ映画で有名な『ハウルの動く城』の原作『魔法使いハウルと火の悪魔』も、彼女の作品である。
そんな、ファンタジーの女王と言われるジョーンズの作品の中で、ちょっと暗い色彩を放っているのがこの『バウンダーズ』。主人公ジェイミーの、淡々とした一人称の語りで、物語が綴られる。
ものすごく悲惨な場面とかがあるわけではないし、主人公達が協力して悪に立ち向かう、胸熱な話ではあるのだけれど、なんだか孤独で、乾いた雰囲気が全編に漂う。この空気感がなぜかクセになり、一時期何度も読み返した。
孤独な旅人「バウンダーズ」達を作り出している元凶「あいつら」の存在については、あまり具体的に詳細には描写されず、結局正体も不明なのだが、それがまた不気味さを醸し出す。
終盤、伏線が回収される箇所の緊迫感には、何度読んでも息を飲まされた。



ナルニア国物語」(1~7巻)
(C・S・ルイス)
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あらすじ
ある日、4兄妹の末っ子ルーシーは、お屋敷の中で、衣装だんすの向こうの一面の雪景色へと迷い込んでしまう。そこは、もの言うけもの達や、妖精や、伝説の生き物が息づく異世界ナルニアだった。
何百年もの間、白い魔女に支配され、雪が降り続くナルニア。邪悪な魔女の支配を終わらせるため、ピーター、スーザン、エドマンド、ルーシーは、ナルニア国の仲間たちと共に立ち上がるー。

言わずと知れた、イギリス児童文学の名作、ナルニア国物語。私達の住む世界とは異なる世界、ナルニアを舞台に、世界が誕生してから滅びるまでを描いた年代記である。衣装だんすを くぐり抜けたら雪の降る異世界に迷い込んでしまう冒頭部分は、あまりにも有名だ。
キリスト教の思想に根ざした、勧善懲悪ものの物語で、善と悪がはっきりしているため、子供でも安心して読める内容である。しかし、予定調和でお説教臭いだけの物語だと思ってはいけない。随所に、作者の心象風景とでも言ったらいいのか、そこはかとなく恐ろしい場面が散りばめられているのが魅力的なのだ。
例えば、第6巻『魔術師のおい』で、この巻の主人公ディゴリーとポリーが、滅びの都チャーンへと迷い込む場面。
年老いて大きくなった太陽のもと、生きて動くものが何もいない崩れかけた街並みや、歴代の支配者と思われる像たちの顔つきが、最初は善良そうだったのがどんどん邪悪になっていく様は、不気味という他表現のしようがない。
『朝びらき丸東の海へ』然り、『銀のいす』の地底の世界然り、『魔術師のおい』や『さいごの戦い』然り、思えばナルニア国物語は、世界の果てや、世界の終わりに、強く焦点が当てられた作品なのかもしれない。



ホビットの冒険』(上下巻)
(J・R・R・トールキン
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あらすじ
ホビット庄で至極平和に暮らすホビット、ビルボ・バキンズのもとに、ある日、魔法使いガンダルフが訪れる。ガンダルフは、その昔ドワーフから財宝を奪った竜スマウグを倒すため、共に冒険に出てほしいというのだ。
突然の頼みに戸惑うビルボ。そうこうするうちにドワーフ達がやってきて、ビルボは「忍び」として、彼らと旅に出ることに。
トロールの住む山、ゴブリンの湧く山脈、暗闇の支配する森…。数々の危機をくぐり抜け、ビルボ達一行は、竜に奪われた宝を取り戻すことができるのか…?

ハリウッドで映画化され大ヒットした『ロード・オブ・ザ・リング』の前日譚にあたる作品。ガンダルフ、ビルボ、ゴクリ(ゴラム)や指輪など、『ロード・オブ・ザ・リング』につながる要素はすでに、この『ホビットの冒険』に登場している。
霧降り山脈で、ビルボの悪夢が現実になる瞬間や、暗闇の中での命をかけたなぞなぞ対決とか、全編に渡ってスリル満点の物語だ。
スケールの大きさで言えば、やっぱり、『ロード・オブ・ザ・リング』が数段上だと思うけど、原作の読みやすさや楽しさで比べたら、こちらの『ホビットの冒険』の方に軍配が上がる気がする…。

しがないホビットだったビルボが、旅が進むにつれて、忍びとしての才覚を徐々に顕していくのが楽しい。彼の大胆さと、平和を愛する性質は、難しい局面で、誰も予想もしないほどの大きな役割を果たすのだ。一体全体なぜガンダルフは、隠居老人みたいに暮らしていたビルボを、旅の一員としてスカウトしたのだろうか。いくら考えてもわからないけど、そのガンダルフの慧眼にはあっぱれと言う他ない。



…懐かしくて読み返したい本や、気になる本があったでしょうか。
お家タイムが続く中、久々に童心に帰って、ファンタジーの世界に夢中になるのもいいかもしれませんね!今週のお題「読書感想文」

『巴里マカロンの謎』米澤穂信 感想〜相変わらずな小鳩君と小佐内さん〜

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あらすじ
小鳩君と小佐内さんは、互恵関係に従い、ある日の放課後、名古屋のスイーツ店までやってきた。
小佐内さんのお目当ては、パリで修行したというパティシエのマカロンなのだが、なんと、小佐内さんが3つ頼んだはずのマカロンは、二人が目を離したすきに、4つに増えていた!
いったい誰が、なんのためにマカロンを増やしたのか…?
そして、小鳩君はやっぱり推理を始めてしまう…。
今日も小市民を目指す二人を描く短編集。


ある日、本屋さんで何気なくおすすめ本コーナーを見て、小市民シリーズの新刊を発見してしまった。
片山若子さんの表紙イラストの可愛さに目を奪われ、金欠だったにも関わらず即レジへ向かってしまう私。
栗きんとん事件は上下巻だったけど、この新刊は一冊だけらしい。というか、「冬季限定」の文字がないので、スピンオフ的な短編集らしい。
買った後にそんなことに気づいて、ちょっとほっとしたような、がっかりしたような。

『秋季限定』に関しては、わりと刊行されてからすぐ読んだので、「11年ぶりの新刊」 という言葉には軽くショックを受けた。
もうあれから11年も経つんだ……!
夏季限定の衝撃のラストを経て、二人は秋季限定で元サヤ(?)におさまるのだけど、
それを読んでほっとしたのがつい一ヶ月くらい前のことのように思える。
年をとるって怖いなあ…。

本書には、名古屋の女子中学生、古城秋桜が登場する。
本書の短編の中で、彼女が唯一出てこないのは、「伯林あげぱんの謎」だが(ちなみにこの短編では小佐内さんすら冒頭にしか出番がない)、
そんな「伯林あげぱんの謎」も、ラストにしっかりつながっており、本書収録の4つの短編は古城秋桜にまつわる緩やかな連作となっている。

さて、小佐内さんと小鳩君だが、「狼」の気質や、「どこにでも首を突っ込みたがる」性癖は、あんまり直せていないようで、
細かいことを観察して謎をときたがる衝動を抑えきれてない小鳩君や、発想が尾行だの待ち伏せだの、いちいち不穏な小佐内さんには、相変わらずだなあとニヤニヤさせられてしまった。

そんな、11年ぶりでもあまり変わらない二人だけど、
「紐育チーズケーキの謎」や「花府シュークリームの謎」では、インターネット系の話題が、わりと大きく関わってきていて、
そこは時代の流れなのかなあと思った。
もちろん、11年前でも、中高生がネットにアクセスすることが、それほど難しかったわけではないだろうけど。

小鳩君も小佐内さんも、自分のお菓子をだめにした人に対して、直接手はくださなくても報復の道を残したり、
ある人物からの、おそらくは傷つく覚悟のないまま行ったた、真相を突き止めたいという依頼に対して、手段を選ばず応えたりと、
例によってクールな面を見せることが多かった一方で、
二人の可愛らしい部分もけっこう印象に残っている。
小佐内さんに推理を褒められたときの、小鳩君の「よせやい」という一言や、
小佐内さんの「それにはおぼやないわ」という決め台詞。
そして、スイーツを前にしたときの、小佐内さんのふにゃふにゃな姿は必見である。
そんな小佐内さんのことを、小鳩君はなんだかんだでよくわかっているのである。

さて、年下には意外と優しかった小佐内さんと小鳩君だが、
今回の一連の出来事を経て、二人の心境は、新たな局面を迎えそうな気がしないでもない。

次はついに「冬季限定」で完結かなあ、また10年後になるのかなあ…。
気長に楽しみに、次巻が出るのを待とうと思う今日このごろ。

『りかさん』梨木香歩 感想

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あらすじ

縁あって、おばあちゃんのおうちからようこのもとへやってきた市松人形、「りかさん」は、とても気立てのいいお人形だった。ようことお話もできるし、かしこくてやさしいし、ほかの人形に込められた思いを写し出して、こじれた思いを解決してあげることもできる。それは、りかさんが今までの持ち主に、大事に慈しまれてきた証拠なのだ。
ある日、友達の登美子ちゃんのおうちで、不思議な汐汲み人形に出会ったようことりかさん。この汐汲みは、何かを秘めているようなのだがー。
ようことりかさん、そしておばあちゃんの日々を、美しく切り取った物語。



私が初めて『りかさん』を読んだのは、小学生の頃だったと思う。
『りかさん』は、図書館の児童書のコーナーに、もちろん児童書の顔をして置かれていたのだ。

今、新潮文庫版で読み返してみて、思った。
よくもまあこんな本を、児童書として扱っていたものだなあ!

使われている言葉が、ときにえらく古風だったり、難解だったりするのもさることながら、
話の内容が、人と人同士の微妙な「屈託」を描いたりしていて、とっても大人なのだ。
おばあちゃんやまわりの大人目線の、ようこを慈しむ心情が描かれている部分もあれば、
ようこがまわりの友達や大人を見つめるときの、「大人って不思議だなあ」というような感覚も、同じ次元で描かれていて、
物語の中にいろんな視点が混在して、独特の雰囲気が醸し出される。

そしてその中心には、りかさんが静かに存在している。
りかさんは、しゃべるお人形という、ようこの日常の中ではかなり不思議なキャラクターのはずだけど、
目立ち過ぎることもでしゃばることもなく、落ち着いたお姉さんとして、ようこをそばで見守っているのだ。

それはまさしく「女の子の強すぎる思いを吸い取ってくれる」いいお人形としての役割そのもの。

作中の季節は、ひな祭りの三月から、風わたる初夏にかけてで、
移りゆく季節の描写が、さりげなく丁寧に、要所要所に登場するのも好ましい。

もちろん、アビゲイルのエピソードとか、とても感動するところもあるけど、「いい話」と単純に割り切れる部分ばかりでもなくて、
りかさんが大人の女の人に抱かれるとにょきにょき角が生えてくるように、
女の人って優しいだけじゃなく、内に蛇を飼っていたりもするよね、というような要素も内包してる物語だ。

それらいいものも悪いものもすべて包み込んで、ようこはりかさんとともに大きく成長していくのだろう、と思わせられた。