ぐりまの読書日記

読書が好きです。本の感想など。

何気なくて小さくて貴いもの~「風信」(十二国記『丕緒の鳥』)感想~

f:id:greema1119:20200211063201j:plain

あらすじ
慶国の動乱により、家族を全て失った少女、蓮花は、故郷を追われ隣国へ逃げる道すがら、景王舒覚の死を知る。帰る場所を失い、空っぽになった彼女がそのまま留まった町、摂養では、候風という浮き世離れした研究者達が、ひたすらに暦を作って生活していた。この摂養に暮らす中で、蓮花の心は少しずつ変化していく―。


丕緒の鳥』の他の三編と同じく、この短編の登場人物は、十二国記の本筋と直接関わりの無い、市井の人々。
彼らの体験する、日常の小さなできごと一つ一つが、季節感を持って丁寧に美しく描かれているのが印象的だ。

たとえば、冒頭で、少女が母親や妹と屏風の障子紙を剥がす場面。
もしくは、中盤、懸命に花の蜜を集める蜂たちを、蓮花が静かに見つめる、多幸感溢れる情景。
燕の子が増えていることの意味を知った蓮花が、帳面を抱きしめるしぐさ。

同じ物語の中では、一方で、州師の襲来や、家族の死、故郷の喪失など、悲惨な出来事が淡々と描かれる。
そんな中だからこそ、こういう平穏な日常の些細な場面が、とても愛おしく感じられるのだ。

そして、人々の何気なくて小さくて貴い日常を、支喬たち候風は、彼らなりのやり方で守っている。


講談社ホワイトハート版の『風の万里 黎明の空』のあとがきで、小野不由美さんが、戦いの中で死んでいく命について言及していたのを思い出す。
戦いがあるということは、たくさんの人が死ぬということで、名前も出てこなかった人が大勢いるけれど、彼らにも一人一人、それぞれの人生があったはずなのに…。というような内容だった。

十二国記は、とてもスケールの大きな物語で、どうしても陽子や泰麒といった、王や麒麟たちに関心を向けてしまいがちだ。
でも、この物語の世界には、一国の王とかではなくても、確かにたくさんの人々が存在して、それぞれの暮らしを生きている。
そんな名も無い人々のそれぞれの人生を、しっかりと描こうとしたのが、「風信」であり、『丕緒の鳥』の中のその他の作品なのではないかな、なんてことをふと思った。